斎場へ向かう前に小夏と最後の散歩、そして空の上へ

こんにちは、管理人です。一昨日に小夏が天寿を全うし、昨日、斎場に向かい空に昇って行きました。たくさんの方々から暖かいコメントをいただき感謝に耐えません。個別にコメントをお返しできませんがご容赦いただければ幸いです。この一年くらいは、完全な老犬介護ブログになっていましたが、たくさんの方が気に留めていて下さったことに私も小夏も感謝です。ありがとうございます。

 

今日の記事は、長々だらだらと書いてしまいました。おそらく私の心の中がグダグダになっているせいかなと思います。お時間ある時にでも、読み飛ばしていただけると幸いです。また小夏の最後の姿、亡骸の写真もあります。苦手な方、心的にストレスに感じそうな方はここまでにしておいてください。

最後の朝散歩
斎場にて
小さくなって帰宅

*あまりにも長い記事になったので、インデックスを付けました。

最後の朝散歩

常識外れかもしれませんが、空に昇った日の翌日に、斎場に向かう前に最後の散歩をというのがわが家的な弔い。鼓太郎の時も同じように次の日の朝に散歩へ。小夏や鼓太郎がどう思ったかは定かではありませんが、最後に今まで幾度となく通った道をもう一度だけ一緒に歩き、少し気持ちを静めたいという思いです。

斎場の予約は午後なので少し時間はあります。少し気になるのは、札幌にしては昨日は気温が高め。余裕で夏日の予報だったので、あまり遅い時間、長い時間の散歩は無理です。

ゆっくりと寝かせておいてほしいのかもしれない小夏を抱え上げ、カートに乗せます。硬直はだいぶ弛緩してきていたので、カートに足を曲げて入ることが出来ました。

お供えできるものが少なく寂しい。寂しいと言って、介護用品とか周りにならべていたら、家内にたしなめられました。

流石に人目は気になります。知っている人に会って話しかけられたら困る。東京にいた時はご近所の顔見知りも多かったので、鼓太郎の最後の散歩は朝の早い時間にそそくさと行きましたが、こちらではあまり知ってる人がいないから大丈夫だろうと少しゆっくりめの時間に出発です。

でも、唯一と言っても良いくらいよく話をするワン連れのおばちゃんとマンション前でばったり。小夏がだいぶ調子悪いことを知っていたので、大きな声で「どうですかぁ~」と元気に聞いてきます。散歩に出てきたので少し元気になったかなと思ったみたいです。思わず声が出ず・・・、首を横に振るとわかってくれたみたいで近づいて来てカートの中を覗き込みます。

何度も「頑張った頑張った」と言いながら、小夏を撫でてくれます。ありがとう。最後に会えてよかったです。

おばちゃんと別れて幹線道路を渡ったところの公園を目指します。それにしても、気温が少し高い。いくら氷を抱かせているとはいえ、短時間で切り上げるようにせねば。と考えているうちに、目的の公園へ。季節柄、アカシアの花が盛大に咲いています。その大木の下に。

アカシアの花びらが小夏の胸元に落ちていきます。

小夏の胸元にブローチみたいにアカシアの花びらがひとつ。左の方に携帯鼓太郎も一緒に寝ています。

この公園は、このあたりでは桜の木が多い公園で、桜の時期は比較的よくやって来ていました。今年も桜が見れるかなと少し心配していましたが、ちゃんとこの公園で見ることが出来ました。

地面はクローバーで覆われてます。

去年は、ここで四葉のクローバーを探して連続ゲットできました。そのおかげで、小夏も少し寿命が延びたのかも。今は悠長に四葉のクローバーを探している訳には行きません。続けて、遊歩道を目指します。

引っ越して来た頃は、まだ元気に新しい散歩道だと遊歩道を探検してました。でも、去年くらいからここへ来る回数もガクンと減ってしまった。

札幌に引っ越してきてから、小夏にとってちょうど良い散歩道で好んでやって来てましたが、今年は数えるほどしかやって来ることが出来ませんでした。本当は、もっとこの道を小夏も歩きたかったのかな。それとも、それは私の願望だけだったのか。

白樺の木が集まったこのあたりが好きな場所。道が木を避けるように少し曲がりくねった場所。

途中で、これも私の好みだった場所。大きな木の下にベンチが並ぶ広場です。このベンチにぼうっと小夏と一緒に座りうたた寝していた日が懐かしく思い出されます。老人と老犬がベンチでうたた寝。のんびりできる場所でした。知らない人が見ると奇妙な光景だったに違いありません。

あまりゆっくりもできません。気温が上がって来ました。遊歩道を抜けて帰り道にもう一つの公園へ。家の窓から正面に見える公園です。サクランボの木の下が気持ちの良い公園でした。

まだ熟していないけど、サクランボがすでに大きな実をつけています。立派な大きなサクランボなんですが、だれかが取っているのは見たことがありません。鳥がついばむくらいみたいです。小夏は、大食いなのになぜか最後まで果物には興味を示しませんでした。

本当はもっとゆっくりしたいところですが、ここからは急いで家へ向かいます。帰り道を急いでいると横に車が止まり、人が降りてこちらの方へ。出発の時に会ったおばちゃんです。花束を抱えてて、「ああ、良かった間に合ったぁ」と、その花束を私に、いや小夏の所へ。出会ってから急いで花を買い、家に戻り車に乗って、花を届けてくれたんです。ありがたいことです。名前も知らないのに・・・。その時に、名乗りましたが・・・。

写真上部のツツジは花束じゃなくて、道路わきの植え込みです。ここのツツジは、今くらいがツツジの盛りです。カートの中、小夏の上の花束をおばちゃんが届けてくれました。

最後のお散歩はこれで終了。鼓太郎ほどお散歩命じゃなかった小夏ですが、自分の暮らしてきた生活圏を最後に一周させてあげたいというのが思いでした。自分が歩いていた道、足跡をたどっていたのを感じてくれたら嬉しい。

家に戻り少し休憩です。家内がたくさん買ってきた花も加え、小夏を取り囲みます。少しは賑やかになった?

こうやって見ていると、いつもと変わらずにただ寝ているだけのようにしか見えません。思わず「小夏、小夏」と声をかけ撫でまわします。でも反応があるはずもなく、こわばって冷えきった感触しか返してくれません・・・。

さて、そろそろ時間。斎場へ向かわなければ。小夏は車に乗るのが好きだったね。これが最後のドライブです。

斎場にて

札幌の南端にあるわが家ですが、斎場は北の端、というよりも隣の市の所を選びました。車で小一時間。最後のドライブにちょうど良い距離です。ネットで探してみると、立ち合いの個別火葬が意外に少なくて、自宅で出張火葬が多いのに驚きます。時代が変わったのか、一戸建ての多い北海道ならではなのか。

個別火葬で、私たちでお骨上げまでが希望だったので、その条件に合う所を探していたら家とは反対方向になりました。そこに納骨、埋葬するかは未定。暫くは家に一緒に帰って暮らすつもりなので、少し遠い斎場でも問題はありません。長くお骨を家に置きっぱなしは良くないという声も聴きますが、わが家的には骨になっても一緒に暮らし、私か家内どちらか生き残った方が、そろそろ動くのがしんどくなり始めた頃に土に還してあげようという考えです。鼓太郎のお骨は、すでに7年以上わが家に鎮座してます。

丘珠空港、生チョコレートで有名なROYCE’の本社工場を越えてさらに進み斎場に到着。広大という訳ではありませんが、墓所や合同供養塔、さらにドッグランまであります。お参りに来る人にもぽつぽつ出会います。騒がしくもなく、寂しすぎることもない、程よい雰囲気です。

一通り供養の簡単なセレモニー。やっぱり小夏はただ寝ているだけにしか私には見えません。この一週間くらいは、身動きせずにこんな感じで寝ている時間が殆どだったので、ことさらそう思ってしまうのかもしれません。

一昨日、瞼は閉じてあげれましたが、口の方は半開きのままになっちゃいました。でも、それが余計にただ寝ているように見えてしまいます。一緒のベッドでいつも寝ている時、横を向くと、いつもこんな顔で小夏は寝ていました。

そして、本当に最後のお別れ。顔回りに花を供えて、小夏を撫でます。

冷え切って強張っていても、小夏を撫でれるのは、本当にこれが最後。毛が薄くなったとはいえ、このもふもふ感はこれが最後。そう思うと、撫でる手が止まりません・・・。やっぱりこのまま連れて帰ろうか、と馬鹿な妄想が暴走し始めるので、無理やり「小夏、今まで本当にありがとう」と耳元でささやいてお別れです。

一時間ちょっと時間がかかるとのことで、施設の中や車、敷地内をぼうっとうろつきます。この時間は苦痛です。鼓太郎の時は、一緒に来ていた小夏がその苦痛の時間を和らげてくれましたが、今回は誰も和らげてくれません。家内とぼうっとうろつく姿は怪しい・・・。

ふと斎場の煙突を見上げると、空気が揺らぎ始めたのに気づきます。

ああ、少しずつ空へ向かい始めてしまった・・・。鼓太郎、来ているんだろう?小夏が迷子にならないようにちゃんと寄り添って連れてってくれ。携帯鼓太郎を煙突の方にかざしながら頼みます。「うん、わかってるよ。大丈夫だから心配しないで」と聞こえたような・・・空耳です。

一時間ちょっとして係員の人が呼びにきました。お骨上げです。こんなに小っちゃかったんだと驚きます。最後はがりがりにやせ細っていましたが、小夏は巨柴のイメージが強かっただけに驚いてしまいます。この細くて小さな骨で、あの巨体を支えるのは大変だったんだろうなと。収骨が終わり、小夏は小さな骨壺に。鼓太郎の骨壺より小さなサイズの骨壺に収まってしまいました。

さぁ、お家に帰ろう。

小さくなって帰宅

取り急ぎ祭壇を作り、そこに小夏を鎮座させます。独りぼっちだと寂しいだろうと横に鼓太郎の骨壺も定位置から移動。ピンク色の骨壺袋が小夏。鼓太郎の骨壺袋もだいぶ汚れていたので、取り替えました。小夏とお揃いの色違いにしたかったのですが、あいにく大きなサイズで同じ柄の物がなかったのが少し残念です。

久しぶりに並んだ小夏と鼓太郎。並んで元気に歩いていた風景とは違いますが、10年以上一緒に暮らした鼓太郎と小夏はやっぱり近くで一緒の風景が良い。今頃、虹の橋のたもとに到着して、一緒に走り回ってるのかな。それほど遠くない将来に、おとうさんもおかあさんもそこへ行くから、それまで待っててもらいましょうか。

 

鼓太郎を迎えた2000年から始まったわが家の柴犬ライフ。足かけ23年。書き尽くせないことがたくさんありました。鼓太郎と小夏がくれたかけがえのない大切な時間と想い出。ありがとう。出会ってくれてありがとう。わが家の子供になってくれてありがとう。

 

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“斎場へ向かう前に小夏と最後の散歩、そして空の上へ” への2件の返信

  1. 小夏ちゃん…いつかこの日がくると覚悟していたつもりだったけど、やっぱりとても悲しくて、寂しくて、辛いです…。ここ最近は、お別れする日が刻々と近づいているような気がして、ブログを読むのがせつなくなってしまって、なかなかコメントできなかったけれど、ずっとずっと応援していたよ。小夏ちゃんと出会ってから、私にとって小夏ちゃんは凄く特別な存在になりました。病気で体がしんどい時に、小夏ちゃんが頑張っている姿を見て、たくさん励まされました。私も頑張ろうって思えました。小夏ちゃん、こんなに長く、頑張ってくれてありがとう。たくさん元気をもらったよ。毎日どれだけ癒してもらったことか…。本当に本当にありがとうね。そしてお父さん、お母さん、お疲れ様でした。長い間、ブログを書いてくださりありがとうございます。私、このブログに出会えて幸せでした。今日、泣きながらブログを読みました。小夏ちゃんと、最後のお散歩をするお父さんのお気持ちを思うと、読み終えてからもしばらく涙が止まらなかったです…。
    画面の上から、何度も何度も小夏ちゃんを撫でました。とても穏やかなお顔で、本当に眠っているようですね…お父さんとお母さんに大事にしてもらって、鼓太郎くんがいて、とっても幸せな犬生だったからだね。小夏ちゃん、今頃鼓太郎くんと元気に走り回っているかな。小夏ちゃんはお空へ行ってしまったけれど、サヨナラはしたくないです。小夏ちゃんのこと、ずっと忘れないからね。これからもずっとずっと大好きです。

  2. 小夏ちゃん、本当にお疲れさまでした。命の最後の一滴まで頑張って一生懸命生き抜いてくれた。とっても愛おしく神々しい姿でした。昨日拙い演奏ですが小夏ちゃんを思い、札幌に向かってオカリナを演奏させて頂きました。「きみがいるから」「糸」「めぐり逢い」「いつも何度でも」「千の風になって」。
    小夏ちゃん、心からありがとう。鼓太郎君もずっとありがとう。お空で鼓太郎君と小夏ちゃん、いっぱいお散歩して添い寝もして、大好きなお父さんお母さんをこれからも見守ってね。

    素敵なブログをありがとうございました。

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