こんにちは、小夏です。あたしは、2018年9月、14歳と1ヶ月の時に子宮蓄膿症の手術をしました。年齢的に外科手術が微妙だったけど、まだ体力がありそうだったので、おとうさんとおかあさんは手術に踏み切りました。その当時、あたしの体重は14kg。今の倍以上の体重で、病院の先生もこれなら大丈夫だろうと、もっと長生きできるようにと手術しました。
その甲斐あって、18歳の誕生日も視野に入ってきました。おかあさんは、すぐに手術を決めたけど、おとうさんはぐずぐずと悩んでた。でも手術をしないと、今の年齢はまでは難しいだろうと、渋りながらも手術に同意しました。
で、もう少しで18歳になろうかという現在のあたしだとどうなんだろう?手術は無理だよね。手術が必要な病気には、どのように向き合えば良いのだろう?
今わかっているあたしの病気は、乳腺腫瘍と白内障(急性)。他にも何かあるかもしれないけど・・・、あ、認知症も病気なのかな。この二つの病気は、どちらも内科治療は、その場しのぎにしかならなくて、効果もかなり限定的です。治療には、外科的手段となってしまうらしい。14歳の時だったら、たぶん手術に踏み切ったような気がする。
でも、今、この年齢になると流石に外科手術は選択肢に入らないらしい。年齢的なこともあるけど、やっぱり体重の急減が問題らしい。単に贅肉や脂肪が落ちたわけじゃなく、体力もがっくりと落ちているらしい。確かに、少し動き回っただけで、はぁはぁ言ってるし・・・。
ちなみに乳腺腫瘍は、腫瘍部分の切除だけでなく、鼠径部のリンパ節ごと切除しなくちゃダメみたいなので、結構な大手術になる。白内障は、水晶体を切除して人工レンズと入れ替えるという術式らしい。どちらも大変だ・・・。
今のあたしに全身麻酔を伴う手術はできない、と病院の先生には言われてます。病状が悪化したときは、痛みなどを伴うものであれば、緩和ケア的な処置しかないとのことです。痛みなどなければそのまま放置、いわゆる経過観察です。無理に手術しても苦痛を与えるだけになる可能性が高いので勧められないそうです。
なかなか厳しい宣告だけど、これはどうしようもない。自分の犬生に限りがある、有限だということを今更ながら理解しました。わかってても、いざそうならないと考えないよね。老犬の病気への向き合い方は、選択肢が少ないから難しい。難しいから何もできずに終わってしまうことも多い。
選択肢がほとんどない以上、毎日、時間を大切にしながら生きていかねば。寝てばっかりだけど、いつもと同じような暮らしだけど、今までと同じ生活ができることに感謝しながら生きてくっていう意味だよ。
あたしにどれくらいの時間が残されているのかな?もうちょびっとだけなのか、意外にたくさんなのか。すでにワンの平均寿命も超えてるし、鼓太郎の地上時間を二年以上超えてるから、うーん、べらぼうに長く残ってるとは思えない。
でも残りの時間を考えながら生きていくのは切ない。いつか終わりが来るのは仕方がない避けられないんだから、終わりのことをうだうだ考えずに、今、今日をしっかり生きていくだけです。
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こじゅたろうさん
変な書き方になってしまったみたいですみません。でも、私の素直な気持ちです。一緒に暮らし始めた時からわかってても、いつかはやってくる別れの時。それはわかってても、それを気にしながら生きていくのは辛いだけです。今を生きて、一杯楽しんでたくさんの思い出を作っていこう。些細なことでも、大事な思い出になると思ってます。だから、できるだけブログにそのまま書いちゃってます。
だいぶ古い本ですが、中野孝次さんの著書「ハラスのいた日々」の中の一節、「犬と暮らす日々のうち一番多くの喜びを与えられるのは、言うまでもなく仔犬の時代、それから元気旺んな若犬の時代である。・・・わたしに言わせれば、犬との絆が本当に一体となるのは実はその盛りのときを過ぎてからなのである」。わが家は、今その盛りの時をはるかに過ぎたところですが、日々、絆を深めて楽しんでます。
『残りの時間を考えながら生きていくのは切ない』胸がギュゥーっと苦しくなりました。ウチの柴は今4歳ですが、子犬の時から、お別れする時のことを想像してしまい、苦しくて悲しくて泣いてしまいそうになることが時々あります。今でもそうなのだから、10年以上も一緒にいたら、その何十倍、何百倍も、苦しいのだろうな…と思います。その時がきたら私は耐えられるのか、受け止められるのか、どうなるのか、今からとても怖いです。小夏ちゃんに対しても同じような思いがあって、小夏ちゃんが体調を崩したりすると、胸がギュゥーっと痛く、苦しくなります。心の底から、小夏ちゃん頑張って…!と、祈るような気持ちになります。ただ見守るだけで、何も出来ないのも切ないです…