鼓太郎の桜の木が・・・。

こんにちは、小夏です。昨日の朝散歩で、近くの小学校の脇道コースへ。なんかいつもと風景が違います。ここは、木陰の道で強い日差しの日でも気持ち良く歩けたんだけど、木陰がない・・・。

木陰以前に、木が全然ない。ここには、大きな桜の木が何本も並木になってました。そう、あの「鼓太郎の桜」の木も、ここにありました。

「鼓太郎の桜」というのは、わが家で勝手に呼んでるだけなんだけど、わが家のみんなには忘れられない桜の木です。


鼓太郎が、どんどん弱っていった二年前の3月、「今年も一緒に満開の桜の下を散歩しよう」を目標に一日一日を送ってました。残念ながら、桜の花が開く前の3月19日に鼓太郎はお空の上に行っちゃった。お空に昇ったあとの鼓太郎とわが家みんなで最後の散歩をした時に、一輪だけ花を開いてくれた桜がありました。以来、その桜の木が、わが家では「鼓太郎の桜」となっていました。

その時のブログ記事はこちら。ちょっと気分沈むかもしれないので見る時は心してみてね。

鼓太郎の桜のところを見ると、・・・、切り株です。なんか、悲しいねぇ。

日本の桜の多くは、戦後植えられたものが多く、寿命になっているそうです。病気になったりで、倒木の危険性が出てきていた切られることが増えているそうです。

鼓太郎の桜や、ここの桜並木が一斉に切られた理由はわかりません。が、夏休みの最後の日に、新学期を迎える前の日に切られたようです。

小学校の桜が、全部切られたのかと、正面側の桜の方に回りこんでみよう。

こちら側の桜は大丈夫だった。でも、切られた桜ときっと同じ年齢だと思うから心配。

時間の流れとともに、色んなものが変わっていきます。でも、自分にとっての思い出のものが、ある日、気づくと消えてしまっているのは寂しい。

でも、思い出の「鼓太郎の桜」がなくなっても、鼓太郎との生活の思い出までなくなるわけじゃないからね。

空を見上げれば、鼓太郎がへっへっ言いながら笑ってる顔が浮かぶし、なによりもしょっちゅう遊びに来てるから、忘れっこないね。

鼓太郎の桜も、空の上に移住して、再び根を下ろしているかもしれない。その根元で、鼓太郎が昼寝してる。いつか、あたしも移住したらその桜の根元で一緒に昼寝しよう。

色んなものに思い出にすることは、素敵なことだと思います。でも、思い出のものは、いつか壊れたりなくなったりする。そのことで嘆くのは、せっかくの思い出自体を否定するようなことになると思う。

だから、鼓太郎の桜がなくなったのは寂しいけど、あの日、みんなで最後の散歩をした時に見上げた一輪の桜の光景を、深く胸に刻みこんでおこうと、あたしは思う。うん、瞼に浮かぶよ。

 

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