病歴というよりも事故歴と言った方が適切かもしれません。鼓太郎を一度だけ夜間救急動物病院へ担ぎ込んだことがあります。現在は残念ながら閉院してしまってますが、当時、家から車で5分くらいのところに夜21時から翌朝7時まで診察、応急措置をしてくれる夜間救急動物病院がありました。
あれは、鼓太郎が1才と3ヶ月頃の、まだ暑い夏の日でした。
その日は比較的早めの帰宅をした私が着替えをしていると、居間の方から家内の声が。
「なんか鼓太郎が齧ってる。ご飯の支度で手が離せないから、ちょっと見てよ」。
やれやれ帰ったばかりだと言うのに、鼓太郎がまた悪さしてるんだ。今度は何を齧って破壊してるんだと居間へと向かいます。果たして、床の上には、量は多くはないものの、プラスチック片が散乱。何だこれ?
この頃の鼓太郎は、攻撃に噛みつくようなことはなくなっていましたが、部屋の中にあるものへのイタズラ噛みが多く、色々なものを破壊していました。そのため、鼓太郎が届く範囲に物は殆どありませんでしたが、どこからか破壊対象を見つけ出し、色んなものを粉々にしてました。家具や電気ケーブルは、すのこでブロックしていましたが、それでも生活空間なので無防備な物が全くないということはありません。
今日は何を壊したのか?床に散らばるプラスチック片を手に取って眺めますが、それが何だかわかりません。こんなものが、わが家にあったのか?とにかく、プラスチック片を呑み込んでいると大変なので、破壊されつくした本体を探します。本体がわからないと、プラスチック片の量から呑み込んだかどうかがわかりません。
狭い部屋なのに、なかなか発見できません。暫し探し回って、ようやくソファの下に押し込まれていた、鼓太郎の歯形が鬼のようについた物体を発見します。これは、懐中電灯か?鼓太郎には手の届かない場所にあったはずですが、どこかによじ登って取ったようです。無残にもぼろぼろ。修理不可能なただのゴミになっています。やれやれ仕方ない。とりあえず破壊された欠片を集めます。レンズ、電球、本体のカバー部分と、とりあえず飲み込んだものはないようです。ん、ちょっと待てよ。もう一つ大きなものがない・・・。え、乾電池!
家内を呼び、二人で部屋の中を探します。ようやく、テレビ台の下に転がってた乾電池を発見します。よかった、呑み込んでなかった。こんな大きさのもの呑み込むはずないと思うかもしれませんが、犬食いは基本的に呑み込みです。しかも犬の野生の本能で、取り上げられると思うと、すぐに丸呑みにしますので注意しなければなりません。
それでも、乾電池を呑み込んでいなかったので、一安心。乾電池を見ると、鼓太郎の犬歯が何か所も貫通しています。鼓太郎を叱りつけようと振り返ると、なぜか部屋の隅っこで固まって、よく見ると小刻みに震えてます。叱られるのが恐くて震えてるわけではないようです。どうした?
そこで思い当たります。手の中にあるのは、アルカリ乾電池・・・。
化学的な知識は乏しいのですが、普通に考えて、毒性を伴う物質のはず。これだけ、ぐちゃぐちゃにかみ砕かれていれば、量はわからないものの乾電池内のアルカリ物質も口の中に入っていない訳がない。
そのせいで、震えてるのか?
血の気が引きます。家内も事の重大さに青くなっています。
「どうする?(掛かり付けの)病院はもう閉まってるよな?」
「うん、でも電話してみる」
家内が電話している間、震える鼓太郎を抱えながら体をさすります。暴れん坊が元気なく、ぐったりしてます。
「ダメ、誰も出てくれない」
「病院の裏に先生の自宅あったはず、たたき起こそうか」
「いや、ちょっと待って、確か夜間の救急動物病院あったよ。知らない?」
「え、今から探しても・・・」
「そうじゃなくって、何時も車で通る街道沿いにあるよ」
「じゃあ、そこへ行こう」
「うん」
タオルで鼓太郎をくるみ、車へ。いつもは抱っこさせてくれない鼓太郎ですが、具合悪い時は大人しく腕の中に納まっています。穴をあけた乾電池も持って、救急動物病院へ。
車を走らせること5分。夜間救急動物病院に到着。駐車場に入れるのに手こずる私を尻目に、家内が鼓太郎を抱えて先に病院のドアを開け入っていきます。すでに夜の23時頃になってましたが、駐車場には何台かの車が。他にも具合の悪くなった犬や猫がやって来てるようです。
私が遅れて入ると、二人の先生が慌ただしく動き回ってます。家内は鼓太郎を抱えて待ってます。先生は酸素吸入器に入った犬についてます。だいぶ具合が悪そうで苦しそうにしています。酸素吸入器のそばには、ご夫婦が心配げに付き添ってます。早く診て欲しいものの、あの子も大変なんだから、鼓太郎それまで頑張って待てよとつぶやきます。
先客の犬を一通り処置し終えたのか、先生に鼓太郎を診てもらえることになりました。診察台にのせると、ぐったりして細かく震えています。
「どうされましたか」
「懐中電灯をいたずらして、中の乾電池を齧ってしまったようで、急に震え始めてぐったりし始めたんです」
「乾電池を呑み込んだのですか?」
「いえ、呑み込んではいませんでした。でも、乾電池を噛み砕いて、中の薬品が口に入っているかもしれません」
先生、鼓太郎の目をのぞき込み、聴診器を当てながら、「部品のかけらなどを呑み込んでいる可能性ありますかね」
「砕けた部品を集めてみた感じでは呑み込んでいないと思いますけど、よくわかりません」
「万が一、何かを呑み込んでいた場合は開腹になります。呑み込んでいなければ胃洗浄をして様子を見ます」
「・・・・。宜しくお願いします」
この後のことは、正直よく覚えてません。家内と何を話していたかもよく覚えてません。どのような処置をしていたのかも、記憶にありません。記憶にあるのは、先客だった酸素吸入器の中で苦しそうにしている犬と飼い主と思しきご夫婦の不安げな悲し気な表情だけ。時間の流れもよく分かりません。
今、何時だろう。
急に家内に突かれ、はっとします。
「先生、呼んでるよ。行かなきゃ」
処置室に入ると、鼓太郎はぐったりしてますが、震えは収まってます。まさか死んじゃいないよな?でも、その時はそう思いました。よく見ると、お腹が上下に動いていたので、少しだけ安心しました。
「異物は、呑み込んでませんでした。胃の中をきれいにして、薬を飲ませました(何か中和剤の様なもの?)。これで落ち着いてくれると思いますが、暫くここで休ませてください。少し元気になったら、今日は家に帰ってください」
「明日も、こちらに連れてくれば良いでしょうか」
「いや、ここはあくまでも応急処置をする病院なので、かかりつけの動物病院へ行って後のことは相談してください。何時も通りに元気になっていれば、行かなくても大丈夫だと思いますよ」
その後、家内と一緒に二時間くらい、鼓太郎を看ていました。呼吸も安定してきていたので、何となく素人的にも大丈夫そうに感じ始めていました。思わず、頭を撫でると、鼓太郎が首ををあげて「ん、どうしたの?」みたいな顔をして私たちを見上げます。良かった。そこから、30分もしないうちに鼓太郎は起き上がって立ち上がります。
先生に伝えると、もう一度、鼓太郎の瞳孔を確認して、聴診器をあて、そして「今日はもう帰って大丈夫です。でも何か様子がおかしいと思ったら、すぐ病院へ連れて行ってください」
「本当にありがとうございました」
帰るときになって、家内に「財布の中にあんまりお金入ってないんだけど、持ってるか?」
「うーん、大丈夫だとは思うけど、でも夜間救急だし、いろいろ処置してもらったから高いかもね。足りなかったら、後から届けにくるってお願いする」
会計を済ませた家内が、小首をかしげながら戻ってきます。
「なんか意外に安くて驚いた。本当にこんな請求で良いのかな」
「当然、夜間診療とかの特別料金が乗ってるんじゃないか?いつもの病院は、休日、夜間診療は半端ない割増金額あるし、頼んでもいない院長が診察すると院長診察とかいう上乗せ金額も半端ない割増あるじゃない」
「うーん、特にそんなのないみたいだけど。いつもの病院に行った時よりも安かったんだよね」
「そうか、でも、こういう病院だからこそ、多少高くても良いのにね。この病院、先生で本当に助かったんだから」
「そうだよね」
鼓太郎の震えが収まり、呼吸も普通に戻り、そして抱っこを嫌がるいつもの鼓太郎になっていました。
夜間救急病院を後にしたときは、既に朝日が昇っていました。寝てないせいか、やけに朝日が眩しかった記憶があります。
私と言えば、それから1時間後には会社へ行かなきゃならない・・・。それでも、家に戻り、落ち着いて寝始めた鼓太郎を見ると、少しだけ元気になって会社へ向かうことができました。
この時お世話になった夜間救急動物病院は、もうありません。地域の動物病院の若い先生たちが持ち回りで運営していたようです。あの時、鼓太郎を診てくれた先生は、どこで開業しているののだろう、なんてふと思ったりします。今では、中年(シニア)の先生になってるはずですが、変わらずたくさんの命を救ってるに違いありません。
なかなか夜間救急専門の動物病院はありません。お近くにあれば幸いですが、ない場合には、まずは掛かり付けの動物病院の先生にお尋ねしてみてください。先生によっては、夜間や緊急時でも対応、往診をしてくださる先生もいらっしゃいます。
万が一は万が一ですが、実際に遭遇した時に途方に暮れないように。特に子犬時代は、万が一が百が一かもしれません。