鼓太郎が私たちを呼んだ日

柴犬の特性かもしれませんが、わが家の鼓太郎も小夏も普段は殆ど吠えるという事がありませんでした。認知症になってからの夜鳴きを除けば。そんな鼓太郎が、自分で動き回ったり、夜鳴きする体力もなくなったある日、それまで聞いたことのないような声で吠えます。吠えるというよりも、私たちを呼んだのだと思っています。


前回に続き、今回も哀しい内容です。別離の日のことです。文章も多くて読みにくいです。躊躇いを感じる方は、この先へ進まないでください。

記事内インデックス
家族を待つ犬、家族から離れる犬
桜を待ちわびながら最後の一ヶ月間
鼓太郎が私たちを呼んだ日

犬と一緒に暮らした誰もが経験する別れの日。それぞれの想いや辛さを伴う記憶ですが、私たちの鼓太郎との最後の日も、哀しくも大切な記憶になっています。

家族を待つ犬、家族から離れる犬

色々な方のブログなどを見ると、最後の日は次のいずれかのパターンのようです。

家族が揃うのを待ち、見守られながら旅立つ
家族が気付かない間に静かに一人で旅立つ

犬が意図的に選択している訳ではないのだとは思います。たまたまの事なのかもしれません。最後の日にそんな体力や気力も残っているはずもないし。もしかしたら、犬にとっては自然に生きるだけど、こうした事はどうでもよいのかもしれません。

でも、一緒に暮らした家族にしてみると、私に限らずそう感じてしまうのではないかと思います。家族がいるときに、家族の膝の上から旅立ちたいとその時を選ぶ。あるいは、家族が悲しまないように、家族みんなが寝静まっている時や家族が来ない場所を選んで、そっと一人で旅立つことを選ぶ。

全部、勝手な思い込み、妄想です。

最後の数か月、鼓太郎が寝ているといつの間にかが寄り添うように寝ることが多くなりました。小さくなった鼓太郎の横で、大きくなった小夏がどんと寝ころびます。

でも、本当に思い込みや妄想なのでしょうか?犬は、3歳児程度の知能と言われていますが、人間と同じように明らかに感情を持っています。最後の時を悟り、想いを持つとしても不思議はないような気がします。

わが家の鼓太郎は、私の仕事が休みで家にいる3連休の初めの日に空へ昇っていきました。仕事勤めの私が連休の間にすべて済ませられるように、その日を選んだと思っています。

甘ったれで、賢かった鼓太郎なので、絶妙なタイミングを自分で選んだのかなと思います。最後の一週間は、本当にいつ昇っていってもおかしくない状態だったので、そこまで頑張って持ちこたえれたのは、何か鼓太郎の意思なのかと感じてしまいます。

桜を待ちわびながら最後の一ヶ月間

わが家の鼓太郎は、2015年の10月頃から認知症が進み、夜鳴きがひどくなりました。昼夜逆転、夜中に突然始まる夜鳴きと徘徊。これには、こちらもかなり参りました。

この頃は、まだ自分の足で歩き回っていましたが、年末にかけて次第に歩ける距離が短くなり、足取りもおぼつかなくなっていきます。お正月は迎えられそうだけど、次の誕生日(6月20日)はどうなんだろう?と、ふと考えるようになります。

2016年元旦。認知症のせいでドアに挟まって動けなくなっています。でもまだ顔はふっくらのじいちゃん柴犬の風情。

そして2016年の1月に前庭疾患の発作で立ち上がれなくなります。10日ほどで一度は回復し、再び立って歩けるようにはなりました。が、それも長くは続かず、それからまた二週間ほどで発作を再発、立てなくなります。二月の上旬には、たまによろけながら歩くこともありましたが、ほとんど寝たきり状態になりました。

一回目の前庭疾患の発作から回復したころ。なんとか自分の足で歩けるようになりましたが、背中が完全に丸まって、とぼとぼ歩きです。

この頃になっても、食欲はまだあったので、また前回のように回復してくれるものと信じていました。が、次第に口内環境(歯槽膿漏)が悪化し、物を上手く食べれない、嚥下できない状態になっていきます。

3月になってからの写真です。私の膝に抱え上げ、シリンジで流動食を流し込み、なんとか命をつなぎます。

流動食などで何とか栄養を補おうとしますが、絶対量が足らず、そして鼓太郎自身の食欲が落ちてきたことから、体重が減少し始めます。

年明けまで11Kgくらいはあった体重がみるみるうちに減っていきます。

頬がこけてしまったのが、はっきりとわかります。でも身体の方がもっと痩せこけてしまっています。

3月の声を聴くころには、流石に鈍い私でも、別れの時が迫ってきているということを考えるようになりました。次の誕生日(6月20日)を迎えるのは無理かもしれない。そんな先までは考えられない。もっと短い期間をマイルストーンにして、それを確実に一つずつ越えながら一緒に生きていこう。

まずは、桜の花が咲く日を目指そう。

それまで抱かせてくれることなどありませんでしたが。この頃は私の膝の上で大人しく撫でられることが好きでした。人と触れていると安心するのか。

そう鼓太郎に言い聞かせますが、通じているはずもなく。桜好きの私が毎年、桜を見に連れ回していた時も、おそらく迷惑だったことでしょう。私の自己満足です。それでも、今年の桜もみんなで一緒に見ようと、寝たきりの鼓太郎の頭を撫でます。

桜の花の前に梅の花が咲きます。東京の片田舎では、大体二月末頃が見頃。ここはどうにかクリア。お天気が良かったので、鼓太郎をカートに乗せて梅園へ。最後に見た、たぶん見えていたと思いますが、梅です。

眠ってしまい、実際には梅の花を見てはいなかったのかも。でも花の匂いは感じて記憶に残したのでは。

この調子で桜も一緒に見よう。しかし、ここからが長い時間になってしまいました。一日一日、ああ今日もみんなで無事に過ごせた。明日も何とか過ごせればと祈りながら眠りにつく、時間の流れが淀みながらの日々がゆっくりと過ぎていきます。

一時期、私たちを不眠症にした鼓太郎の夜鳴きは、2月の下旬には静かになっていました。安らかではありませんが、少し荒めの寝息だけを私の枕元でたてていました・・・。

朝散歩の時に、桜の枝を見上げ、蕾の大きさを毎日チェックしていたのもこの頃です。せめて、この蕾が開き、満開の桜の下をみんなでもう一度だけ散歩したい、それだけが願いの日々でした。

鼓太郎が私たちを呼んだ日

(旧ブログ記事からの転載、リライトです。)

3月19日は、朝から小雨の東京の片田舎。鼓太郎は起きた時から、何か調子が悪そうで、息が荒いのが気になってました。朝散歩も雨なので、無理させない方が良いと小夏だけ連れて行きました。休みの日は、私が散歩担当です。久しぶりに鼓太郎を連れて行くチャンスでしたが、雨に阻止されました・・・。

3月19日の鼓太郎。おそらく意識は朦朧としていたはず。視線も宙をさまよいます。

朝ごはんの流動食も、あんまり飲み込みが良くなく、いつもなら食べたあとに寝はじめるのですが、この日は目を開いたまま、ずっと起きていました。食事しても、息は荒い。痩せた骨と皮だけのお腹が、大きく動いてます。意識はたぶん朦朧状態だったと思います。が、ここのところよくあることなので、そのうち寝てくれると思っていました。それにしても、いつもより呼吸が荒いのが気がかりです。

自分の部屋で少し仕事をしていると、声にならない声で、しかし大きな声で「わんわん」と鼓太郎の吠え声が。鼓太郎の声は、もう1ヶ月以上聞いていません。何事かと慌てて、鼓太郎が寝ているリビングへ。抱え上げて、撫でていると落ち着いたようでしたが、やはり息は荒い。少し眼振が見られました。左目は、ここのところ斜視というか、白目をむくことが多くなってましたが、この時は、少しですが右の目も白目になっていました。それでも、寄り添ってゆっくり撫でていると、その兆候も少し収まってきたので、ベッドへ寝かせます。

昼時になり、いつも土曜日は軽い外食のわが家ですが、なぜか昼ごはんに出ようか出まいか、この日は迷ってしまいました。何か出かけてはいけないような・・・。家内も同じように思ったそうです。迷いながらも、外で短時間で昼食を済ませ帰宅。鼓太郎は、寝てはいませんでしたが、落ち着いていました。ただ息が荒いのは変わらず。

暫く静かな時間。が、また大きな声で「わんわん」と呼びます。実際には、「わんわん」というきれいな吠え声ではありません。おそらく、今できる精一杯の吠え方で呼んだに違いありません。やっぱり息が荒い。口も開き加減、目もまた怪しい。膝の上に抱っこして、撫でてあげるとまた落ち着いてきました。しかし、この時は私の膝の上で大量にオシッコ。それが何を意味しているのかは、その時は考えもしませんでした。

思えば、量はそれほどでも有りませんでしたが、この日は朝からオシッコの回数が多く、ベッドの上で、気がつくとオシッコ。オシッコをしたというよりも、漏れたという感じが頻繁に続いてました。

なんか様子が何時もとは違う。なんの確信も理由もありませんが、なんとなく違うと感じていました。

前日の金曜に「狂犬病予防注射」の案内が来ていて、鼓太郎については免除申請をしようと、来週あたり病院へ証明書もらいにいこうと思ってました。でも、これもなんとなくですが、今日行こうと思い立ち、家内も賛成と言うので、病院の午後の診察開始時間を目指します。通っている病院の午後の診察時間は16時からなんです。予防注射の免除申請は、あくまでも口実で病院へ行きたい理由はもちろん別にあります。

16時ちょうどに病院到着。一番のりです。カートのキャリーバッグ部分に鼓太郎を入れて運ぶ私たちを見て、すぐに院長先生が診てくれます。

鼓太郎、どこを触られても動きません。先生、心音を確認して、手足の脈と思ったんですが、むくみ具合を調べています。心臓もしっかりしているし、むくみはないとのこと。息が荒く苦しそうなこと、食事をどうすれば良いか、どんどん痩せて来てることなど、話があちこち飛びながら聞きます。

栄養は絶対量が不足している。わかってはいますが、食べない。他に何か?点滴ぐらいしか。この骨と皮だけの身体に点滴入れられるか?血管は大丈夫そうなので。それじゃあ、点滴した方が良いかな?でも、時間をかけての点滴なので、入院になります。

え?

それは嫌、と家内。私も同意です。

流動食の量を少しでも多くしようと。先生は、でも無理やり流し込んでも駄目ですよ、嫌がったら無理しないでくださいね。

抗生物質や抑てんかん剤はもう飲ませてないでしょう?はい。通年投与にしたフィラリアの薬を飲む時期なんですけど?飲まなくていいでしょう。狂犬病注射の案内きたけど?そんなものは放っといて良いです。外に出て、人を噛む可能性ないでしょう?はい。

たぶん、先生、はっきり言いませんでしたが、覚悟を決めて、苦しまないように残りの時間を一緒に過ごしてください、ということだったのかと、後になって気づきます。

私は、その後に及んでも覚悟というものは出来ていませんでした。明日になれば少し元気になる、明後日になれば立ちあがれるかもしれない。ただのアホです。

最後に、体重を測ってもらいました。数日前に家で、(抱っこして測定)-(私の体重)で、奇妙な数字が出たので、計算間違い、家の体重計が壊れたと思っていました。正確な数字を知りたかった。それまで、カートのキャリーバックの中で診察してもらってましたが、鼓太郎を抱えあげて診察台に。ちょっとひんやりで冷たくなかったかな?

体重は?ああ、計算間違いでも、家の体重計が壊れていた訳でもありませんでした。ありえない数字が事実でした。

5.74Kg

鼓太郎は、豆柴でも極小柴でもなく、スタンダードな柴犬。どちらかと言えば大柄な柴犬。ピークの体重は、14Kg。14は肥満していた時期なのでともかく、だいたいは12Kgというところでした。それが、半分以下。直近の2月でも、ものすごく痩せたと思った時でも7.7Kgほど。この2、3週間で、そこからさらに2Kgくらい落ちていた計算です。

家に戻って、ポカリスエットを飲ませるとごくごく良く飲みました。車で移動したせいで、疲れたのか、少し寝始めます。

小夏を夜散歩に連れて行き、私たちも夕食を済ませて、さて鼓太郎に栄養をつけようと食事の準備。

この一週間くらいA/D缶しか食べていなかったので、他の流動食にしようと準備します。

私の膝の上に乗せて、口からこぼれても大丈夫なようにタオルをあてがって、シリンジで口の中へ。一口二口は、ごくんごくんと飲んだのですが、そのあと力のない手足を少しばたばた。あれ、少し元気出たのか?そうではなく、今思えば嫌がっていたようです。それに気付けなかったのは後悔です・・・。

続けて「薬なんだからー」と少し入れましたが、全部口から流れます。それを見ていた家内が「嫌がってるよ。先生も無理させない方が良いっていってたじゃない」。

「でも何も栄養取れないじゃないか」。とは言え、鼓太郎はもう食べる気がないので、水だけをその後飲ませました。水やポカリスエットは、良く飲みます。

明日は食べてくれるといいなぁ、と思いながらベッドに寝かせます。依然として呼吸は荒い。

そして、3、40分経った頃。また、鼓太郎が「わんわん」。昼間と違うのは、少し戻しそうな吠え方。慌てて、吐いても大丈夫なように横抱えに。吐くものは水しかないんですけど。胸元や喉をさすってやると、少し落ち着いた感じに。横向きの体勢でなくうつ伏せ状態で横抱きにしているせいか、いままでの荒かった呼吸が静かになります。

「この体勢が楽なのかなぁ」
「そうかも、でもこの体勢はベッドじゃ維持できないね」
「もうちょっと、そのまま抱いててよ」
「うん、わかった」

しかし、・・・。

なんかおかしい・・・。呼吸が、どんどん静かになっていくような気が・・・。

鼓太郎を抱える私が妙な顔をしているので、家内も気になったようで「何、なに?」。

返事もしないで私は鼓太郎の洋服をまくりあげて、「お腹の動きが弱くなってる・・・、なんか止まりかけてる・・・」。

その間、どれくらいの時間が経ったのか。完全にお腹の動きがとまり、私に寄りかかっていた頭が反対側にくたっと・・・。壁の時計をみると22時ちょうど、鼓太郎は旅立ちました。

旅立った鼓太郎の横で、小夏は長い事寄り添ってました。いつもと同じように添い寝してるつもりだったのでしょうが、だんだん冷たくなる鼓太郎が不思議だったのかもしれません。

今思えば、日々弱って来ていた鼓太郎は、私の仕事が休みになる土曜日、そして3連休の始まりのこの日まで頑張ってくれたのかもしれないと勝手に想像しています。ここのところ、私の枕元で夜一緒に寝ている時も、夜中に私を起こすことなく、この土曜日まで頑張ってくれたのかもしれません。

私と家内、そして小夏と、わが家のみんなが揃って、みんなが起きてる時間に旅立とうとしたのかもしれません。

ひとしきり涙したあと、家内が「鼓太郎、最後に何て言ったんだろうね?ありがとう、だったら嬉しいね」。

そうだね。そして私たちも鼓太郎に15年と7ヶ月一緒に暮らしてくれて、ありがとうです!

2016年3月当時の旧ブログ記事はこちらから

意識も朦朧として、声をあげるのも大変だったはずなのに、どうしてあれだけ大きな声で私たちを呼べたのか。不思議です。本当のことはわかりませんが、色々と勝手な妄想が広がります。私たちを呼んだというのも妄想です。でも、そう思っています。何かを告げたというのも妄想です。

全てが妄想ですが、長く一緒の時間を過ごしてきた故に、たぶん事実に近い妄想だと信じています。

そして鼓太郎が空に昇った翌日、近所の桜の木が、一輪だけ花開きました・・・。

 

 


犬と一緒に暮らし始めた時から分かってることですが、犬は人間よりもずっと短い時間しか生きることができません。子犬で迎え入れても、最後を看取ってあげなければなりません。

犬は一人では生きていけません。飼い主が先に逝くわけにはいきません。最後まで面倒を見なければなりません。それが、犬と一緒に暮らすという事です。

そんなことは百も承知だった筈ですが、結局のところ、この時まで私はきちんと理解はしていなかったようです。いえ、覚悟を持っていなかったのかもしれません。

鼓太郎が私を呼んだこの日まで。それを伝えようと呼んだのかなとも思ったりもしています。

 

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“鼓太郎が私たちを呼んだ日” への1件の返信

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