本州から北海道に車で渡る時に函館上陸をした場合、そこから札幌へ向かうときのルートは主に二つ。函館から長万部までは同じですが、そこから山間部を通るか海沿いを通るかの分岐となります。今は、高速道路が海沿いのルートに沿って走っているので、室蘭、苫小牧、千歳を抜けるルートが主流なのかもしれません。
しかし、私は山間部を抜けているルート、ニセコ、余市、小樽を経て札幌へ向かう一般道のルートが若い頃から好きでした。小夏との北帰行でも、行きはそのルートを使いましたが、その時に立ち寄った先の中で、二か所だけ取り上げてみます。
記事内インデックス
ニッカウヰスキー余市蒸留所
小樽運河
どちらも以前は、決してメジャーな観光地とは言えませんでしたが、現在は様変わりしていますが、個人的には、昔の少し斜陽な風景を思い出していました。小夏は、長時間車に閉じ込められていた反動なのか、初めての土地で元気にあちこち探検していました。
ニッカウヰスキー余市蒸留所
余市は、山間部ルート(国道5号線)を抜けた日本海側の町です。JRの駅は海から少し内陸に入ったところにあり、そのすぐそばにニッカウヰスキー余市蒸留所があります。数年前のNHK朝ドラ「マッサン」の舞台となった所です。
今も昔の面影をたっぷりと残しています。創業者の竹鶴さんがスコットランドの蒸留所をイメージして、その当時、おそらく何もなかったこの地にこの広大な蒸留所を作り上げたと思うと、一人の人間の情熱には驚かされます。
威風堂々の作りです。昔の建物は、今とは違う立派さがあります。この醸造所は、マッサンが投資家をだましてお金を引き出して、こだわりぬいて作ったところだから、今日まで風雪に耐えて生き抜いているのでしょうか。
正面ゲートの社名の下の飾りも立派。
全然、売れなくてお金なかったのに、こんなところにも贅を尽くしている。贅を尽くすというよりも、スコットランドの蒸留所に倣い、できるだけ同じ雰囲気を醸したかったのかもしれません。スコットランドと同レベルの味わいのウィスキーを作るには、建物、その雰囲気も同レベルにしたかったのでしょうか。真偽はわかりませんが、今となっては素敵です。今、こうした趣向の建物を作ることは難しいに違いありません。
内部の見学もできます(2020年は、コロナによる影響で制限、休止があるかもしれません)。
残念ながら、犬は中にははいれません。小夏と一緒に訪れたときは、あいにくの雨でもあったので、建物の周りをうろうろして、このゲート前の記念写真で終了です。
小夏的には、それで満足みたいです。観光客がたくさん来ていたので、少し遊んでほしそうな顔で見つめていましたが、雨でぬれた柴犬に手を出してくる人はいません。
余市の駅からニッカの蒸留所、その少し先までの直線の道路がリタロード。マッサンの奥さんのリタさんの名前にちなんでます。
朝ドラではシャーロットケイトフォックスさん演じたエリーでした。ロードのお終いの所に、リタ幼稚園があります。
小樽や積丹方面に行かれる機会があれば、お勧めです。ワン的には、うーんと言う感じです。
余談ですが、ニッカは漢字で書くと日果。ウィスキーでは売り上げが期待できないという出資者を説得するために、果実汁を販売するとして社名を大日本果汁株式会社とし、そこからニッカ(日果)となったそうです。余市の南側に位置する仁木町はリンゴをはじめ、いろいろな果物の産地として有名で、それを原料に果汁を生産販売していたようです。
そんな歴史もあるというのは、マッサンを見るまで知りませんでした。
小樽運河
小樽は、港湾を利用した貿易、輸送に伴い、かって北海道一の商業都市でした。今は、その機能が札幌や東京などに移ってしまい、観光都市としてのイメージが強くなっています。港町にありがちな山が迫った地形で、平坦な土地は少なく坂と港の町です。
かっての栄華を示すように市内には明治大正時代の素敵な建造物がたくさん残ります。ノスタルジーを感じる風情です。その代表格が小樽運河と倉庫群。
小雨のお天気にもかかわらず、小夏と行った時(2016年)は、多くの観光客が運河沿いの道を散歩していました。まだ若かった小夏も元気に歩きます。運河と川の違いは理解していないと思いますが、嬉しそうに小走りです。
運河沿いの石畳の道は、きれいに整備されていて、気持ちの良い散歩道です。平日だったわりには、観光客が多く、日本語以外の言葉が8割くらい。言葉が通じない人でも、てってってっと丸っこい体の小夏を歩いているのを見て、笑う(微笑む?)人がたくさん。人の笑いを誘うのは、小夏の天賦の才かもしれません。
運河で記念写真を撮るのは意外に難しいです。運河の水面が写らないと運河っぽく見えないし、運河わきの倉庫も映らないと違う場所みたいで一緒に入れるのはなかなかです。ましてや、背の低いワン(小夏)もいれての記念写真となると、なかなかうまいショットは取れません。撮影ポイントは観光客で占領されているので、犬連れでは割込みしにくかった。
小夏を歩かせながら水面を見ていたら、ん?何かを妙なものに気づきます。大きな魚が運河を泳いでいます。大きな魚、写真では比較対象がありませんが、どうみても50cm超の魚影。まさか、・・・、サケ?でも、どう見てもサケのように見えます。
小樽運河は、現在は本来の目的で使用はされていませんが、もともとは港湾部(海)とつながっていて、今もその構造は変わっていないはずです。勘違いしたサケが紛れ込んでしまったのでしょうか。
運河の観光客は中国の人が多かった。小樽運河に限らず、当時の日本中どこでも海外の観光客は圧倒的に中国人。前に中国にいた人に聞きましたが、北海道は中国人に人気らしいです。中国の南の方の沿岸部は雪降らないから、雪の季節は確かにと思うけど、夏場も人気みたいです。
小夏は、観光地で犬は珍しいのか、小夏ゆえかは不明ですが、なかなかの人気で、写真をぱちゃぱちゃ撮られていました。以前は、撮っても良いかって聞かずに撮る人が多かったけど、この時はみんな聞いてきた(たぶん)。しかし、中国語で聞かれても全然わからず、英語でも怪しく、なんとなく、そうなんだろうなということでOKとか言ってました。
OKを連発してたら、中国の人は大胆なのか、いきなり小夏のリードを奪われて記念写真とか、重たい小夏を抱えて記念写真とかされて、少々、焦りました。噛むことはないとは思うものの、嫌がると暴れるので。早々に、観光客から離れました。
今では、あまりにも有名でノスタルジー溢れる観光地として全国区になった小樽運河ですが、昔はずいぶんと荒んだ状態で放置されており、埋め立てか保存かでずいぶんともめていたようです。この運河を巡って、いろんな意見や思惑が対立していたそうです。
40年前頃までの小樽運河は、町の産業の斜陽に比例して、ぼろぼろ。汚くて臭く、やっかいもの扱いにされたこともあったそうです。かっての、東京の神田川みたいなもの?でも川は、水が流れるので、汚くても水は完全に死にはしないものの、運河は片側が埋められたせいで行き止まりで水の流れはなく、水自体が死んだ状態だった。表面にポコポコと、水底からメタンガスが湧いていたり、汚れた水越しにはしけ(船を誘導する船)が何隻も沈んでいました。とにかくどうしようもない状態だった記憶があります。
使い道のない運河をどうするか?埋め立て派と街並み保存、景観派とのぶつかりあい。そうした中で、当時若かった市民や周辺地域の人たちが、街並み、小樽の倉庫街と運河の保存を強く主張したそうです。埋め立て派は、運河お入り口まで伸びている高速道路をさらに延長することを主張していた。いろいろありつつも、保存推進派と町の人たちにより現在の小樽運河として、再生。結果的に、良かったと思います。
なんとなくの記憶なので、違ってたらごめんなさい。
北海道には、いろいろと素敵な場所があります。ゆっくりと時間を取って、車での旅行がお勧めです。マンション住まいしか知らない鼓太郎や小夏、東京の片田舎でずっと暮らした鼓太郎と小夏。北海道みたいに広々としたところで、暮らす一生の方が本当は良かったのかな?
今になって、そんなことを考えても意味がありません。満足できる時間を最後まで一緒に過ごそう。たくさんの楽しい想い出を残そう。
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