老いを感じた時 散歩歩行

犬にしても人間にしても、生きる物の宿命として、年齢を重ねるにしたがって次第に体力が落ち、老いて行くことは神が決めた定めです。決して避けようがない事はわかってても、何とかそれに少しでも抗おうとするのも自然な心理です。

私は自分の事は、「ああ、俺も年取って来たな」程度で誤魔化してしまいますが、何故か、鼓太郎と小夏の老いについては、ずいぶんと早くから気になっていました。


たぶん、犬は人間に比べて圧倒的に短い生涯ゆえに、少しでも元気に長生きさせてあげたいという心理が自分の中で働いていたのだと思います。正しく言えば、「長生きさせてあげたい」ではなくて「長生きしてほしい」です。飼い主の一種のエゴと言われるかもしれません。しかし、愛犬と暮らす人は誰でも同じはずです。

鼓太郎にしても小夏にしても、長生きなんてことは考えたこともないのかもしれません。その日その日、その時その時を精一杯に生きて行くだけなんでしょうね。自然な生き方です。人間は生きることの意味を犬に比べて取り違えているのかもしれない、なんて思ったりもします。何よりも人間の方が欲が深いので、長生きと楽しみの欲などがごちゃごちゃになって・・・。

2014年冬 左:鼓太郎 右奥:小夏

前置きが長くなりました。避けられない老いのことを振り返りながら、老いを感じた兆候を何回か書き留めてみます。

人によって感じ方も違いますし、犬の個体差や健康状態も違うので、あくまでも私とわが家の鼓太郎・小夏のことです。老いゆくパートナー犬と暮らしている方に、多少でも参考になれば幸いです。

 

歩行時に気づいた変化

鼓太郎は生まれつき軽い脊柱側彎症で、もともと歩き方が少し変でした。気になるほどではありませんが、普通に歩いていても後ろから見ると下半身が左右に揺れ、踊るように見える歩き方をしていました。よく言えば、嬉しくてスキップしているような歩き方で、若いころはその姿を見て「お散歩が嬉しそうに歩くね」と言う人もいましたが、実際は軽い障害でした。

また、鼓太郎は散歩の時は、いつもリードをピンと引っ張り先頭を歩きます。躾的にはよろしくないですが、道案内は自分にお任せあれと言わんばかりなので、好きにさせていました。私と小夏が、鼓太郎に後れを取るまいと少し後ろから一生懸命について行きます。

2014年冬 左:鼓太郎14才半 右:小夏 散歩の先頭の座を譲ってしまった頃

それが、鼓太郎14才の頃あたりから、散歩の時の風景が少し変わりました。年齢的にはシニア犬というよりも高齢犬、老犬の域です。しかし、ずっと一緒に暮らしていると、老犬だという認識が私にはなかなか生まれませんでした。いつまでも、暴れん坊な若犬の姿を本当は老犬になっていた鼓太郎に無理やり重ねて見ていたのかもしれません。

そんな私にも、ある日、気付かせられた鼓太郎の変化、老いの兆候があります。現実を理解しなければならない変化、兆候です。

〇 いつも先頭を切って歩いてたのに、その座を小夏に譲った
〇 下を向いて歩くようになった
〇 歩くスピードが遅くなってきた
〇 鼓太郎特有の踊るような歩き方をしなくなった
〇 匂いチェックの時の時間が長くなった
〇 途中で休みたがるようになった
〇 長距離の散歩コースを嫌がるようになった
〇 オシッコの時の足の上げ方が低くなった
〇 少し背を丸めてとぼとぼ歩くようになった  などなど

どれも、見落としそうになるような些細な変化です。こうした変化や兆候は一時に起きたわけではなく、毎日少しずつ生じていった変化なので、気づきにくいことは否定できません。それでも、全部並べて見直すと、それまでとは全然違い、老いを認めるしかありません。

 

騙しの元気さ

散歩ではとぼとぼ歩くようになっていても、家に戻ると廊下をダッシュで何度も往復するなど、その頃になっても鼓太郎は時々元気なところをアピールしていました。

2014年初 鼓太郎13才半頃 わが家の短い廊下を何度も折り返しながらダッシュを繰り返す。

その姿に、少し騙されてしまったなと今になって思っています。もっとも、この廊下ダッシュも14才を過ぎて、しなくなりました。できなくなりました。

小夏は、今現在15才の少し手前ですが、たまに廊下ダッシュをしています。今までしなかったのに・・・。小夏も少し老いてきたのでしょう。しかし、何故、老いてダッシュを繰り返すのかは今も謎。わが家の二柴だけかもしれません。小夏は、鼓太郎のことを思い出して、それを真似しているだけなのかもしれません。

 

歩くことの楽しみが苦痛に

わが家が散歩で良く行く公園に大きな池のある公園があります。鼓太郎は、若いときは、池の周りをあっという間に駆け抜けていき、まだ走り足りないような表情をしていました。

が、14才頃からだんだんと池の周りを一周する時間が長くなり、途中で休むようになり、時々、困ったような顔でリードを持つ私を見上げるようになりました。距離が長いのが辛かったのかな?

平日の散歩コースもだんだん短くなりました。子供の時から欠かさず歩いた鼓太郎のパトロールコースも、20分くらいで歩ききっていたのが、40分、60分と所要時間が伸び、そしてショートカットするように変わりました。

 

頭が下がり背中が丸まる

柴犬は、姿勢の良い犬だと思っています。立ち姿は、胸を張りまっすぐに正面を見つめます。バランスの良い立ち姿です。これは歩行時も同じで、匂いチェックなどで頭を意識的に下げるときは別ですが、歩いていても頭をしっかりあげ胸を張り、尻尾もあげています。横から見ると、上向きに反った弓形に見えます。

それがある時から、頭の位置が少し下がり、水平に近くなり、そして下を向くようになりました。少し大げさに言えば、肩の間に首が埋まるような感じです。頭の重みを支えれなくなってきた証拠です。首や肩も凝るようで筋肉がこわばっています。

2014年冬 鼓太郎 頭が下がり気味で少し背中も丸くなったように見えます。それまで頑として着なかった洋服もこの年の冬から嫌がらずに着るようになりました。

頭が下がると、姿勢全体も悪くなってきます。だんだんと背中が丸まっていきます。それまで横から見ると上向きの弓形だった姿勢が、下向きの弓形になっていきます。ついでに尻尾も下向きになっていきます。

位置が下がった頭を何とか支えようと無意識にバランスをと売ろうとするせいでしょうか、そのために背中が丸まっていくのだと思っています。これも人間と同じですね。

この姿勢、背中が丸まってくると歩きにくいに違いありません。鼓太郎の頭の位置が下がって、背中が丸くなってきたころは、走ることは当然もうなく、歩き方もとぼとぼでした。そして歩かなければ足腰も弱り、少しずつながらも悪循環となり、老いが進んで行ったようです。

人間も老いは足から来ると言いますが、犬も同じです。元気そうに歩いていても、歩く距離が短くなっていたり、歩き方の変化が出ていないか、頭が下がり始めていないか、気づいてあげることが大切です。気付いても、その対処はないのですが。私がしてたのは、首や肩のマッサージくらいでした・・・。

 

オシッコのスタイルが・・・

鼓太郎はオス犬ですから、当然、オシッコの時は片足を上げて用を足します。しかし、ある日見ていると、ん?なんか足の上りが低い・・・。地面から片足は浮いてますが、妙に足の位置が低い。そして、時折足をあげずにオシッコをする時が出始め、15才半ばには完全に足を上げずにオシッコをするようになりました。

オス犬のオシッコのポーズは、姿勢が良くないとバランスが取れないようです。ちゃんと胸を張ってないと転びそうになるんでしょうね。反対側の足にも負荷がかかるし。足をあげずにオシッコするようになった鼓太郎の姿を見て、「赤ちゃん(パピー)時代に戻った」と思いました。子犬時代は、オス犬も座りションです。年老いていくと人間も行動がだんだんと赤ん坊に還るようになると言いますが、犬も同じです。

小夏はメス犬なので、基本的に座りションです。ただ、鼓太郎と長く生活しているうちに片足をあげてオシッコするようになりました。オス犬のように派手に足を上げませんが、片足を浮かせる程度です。でも、それも今は昔のこと。もう、足を浮かせることはありません。小夏も老いたのか?小夏の場合は、老いなのか、肥満により片足で体重を支えることが困難になったのかは不明です。


老いは、ずっと一緒に暮らしているとその変化になかなか気づきません。少しずつの変化です。でも確実にその兆候は、あちこちに出ています。私が鈍かったせいもありますが、後になって気づいたことばかりです。

あの時、そんな兆候に気が付いていれば、何かしてあげられることもあったのかなと思います。二柴がそれを望む、望んだのかはわかりません。

老いの兆しに気づくことは、犬のためでもありますが、飼い主のためでもあると思います。愛犬の変化を、老いを理解することで、飼い主自体の気持ちも整理していくことは必要です。

 

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