前回まで、人は何により働くことに動機付くか、何に動機付けられるのか、その要因や内容に注目する動機付け理論の欲求説をみてきました。今回は、動機付け理論の過程説についてみていきたいと思います。
色々な理論や考え方がありますので、細かな点にはまらずに、概略的にそれぞれの特徴をつかむと理解、そして活用が進みます。
過程説とは
文脈説、選択説とも呼ばれます。人間は、どのように動機付けられていくのか、個人の意図や関心がどのように動機付けに作用するのか、そのプロセス構造に注目する考え方です。
欲求説では、いわゆる動因を明らかにするのが理論展開の前提になっていましたが、過程説では人間の外部に位置する誘因がどのように動機づけに関わるかに注目点が映ります。同時に個人ごとの違い、個人差への配慮が興味を引きます。
こうしたことから、状況想定や視点の違い、そもそも人間に対する考え方の違いなどから、さまざまな理論展開がされてきています。これらのものが万能とは思いませんが、効果を発揮することも疑う余地はありません。
以下、代表的なものを取り上げてみました。
公平説
他の人との比較において、自分が公平に処遇(金銭的な報酬に限らない)されていると実感できれば、動機づけられ働く意欲が湧きます。それに対して、不公平に処遇されていると感じれば、働く意欲は減退してしまうという考え方です。きわめて普通の考え方です。
自分より努力をしていない同僚よりも自分の報酬が低ければ、モチベーションは下がるに決まっています。
しかし、ここで問題になるのは公平の判断が主観によるものになってしまい、個人差が大きくなることです。また比較の対象が誰であるによっても差異は生じてしまいます。
公平説では、こうした点に対する考察が弱く、有効性は限定的とされています。
ただ、原理原則はシンプルで非常にわかりやすく納得性の高いものです。そこで、不備というか弱点部分を実務的に補うことができればよい訳です。公平と言う視点が動機付けの中から捨象されることはありません。
強化説
人は、報酬(金銭的な報酬に限らない)の有無やそのタイミングにより動機づけが強化されます。外からの何らかの影響により強化されれば、モチベーションが強まるという考え方です。もちろん、マイナスの報酬(罰など)を受ければ、モチベーションは下がります。
強化説(学習説)は、賃金のモチベーション効果には分かりやすく妥当視されていますが、それ以外の組織行動にはその効果性において疑問も多く呈されています。
ただ、外発的な動機付けにおけるアクセル効果、ブレーキ効果をもたらす触媒が人を動機づけ、その行動を強化する作用は認められます。問題は、それが賃金であれば、金額の限界や効果の逓減性などを伴うこと、賃金以外の認知賞賛などであれば個人差の存在などが表出します。こうしたことの折り合いをつける点は必要ですが、それでも強化するアクセル効果、ブレーキ効果は否定するものではありません。
期待説
モチベーションの強さは、期待(人は努力すれば相応の成果が得られる)と成果の誘意性(得られる成果の価値や重要度)の積で示される、と期待説では考えます。どちらかが欠けると動機づけられることもなく、それを埋めようという行動喚起にもなりません。
この期待説の考え方を初めて公式化したのがブルーム(Vroom, 1964)です。ブルームは、次のように2つの考え方を組合せ、数式化しています。少し複雑ですが、簡単に示すと次のような関係式です。
モチベーション = 期待 × 誘意性
期待は、努力した分だけもたらされるであろう成果、誘意性は、努力した結果、得られる報酬の主観的価値や魅力を表します。人の心理的過程がモチベーションを左右するという考えです。
ブルームのこの考え方は、その後、いろいろな学者により要因が追加修正されながら精緻化しています。その中で一番目にする機会が多いのが、ポーターとローラーの期待モデルです。
ポーターとローラーの期待モデル
・誘意性と期待の度合いによって、努力(行動)の度合いが決まる。
・努力に、個人の能力や資質、役割認識(努力の正しい方向性)が加わり、得られる成果の大きさが決まる。
・成果の大きさは、報酬(内発的、外発的)を決める。
・得られた報酬に対し、満足感が決まる。満足感は、成果に対し公正な報酬かどうかの主観的な自己認識に影響される。
・成果に対する報酬の度合いが期待に影響を与え、満足の度合いが誘意性に影響を与え、モチベーションを左右する。
少し複雑ですが、簡単に言ってしまえば、「努力により実現した成果に対して得られた報酬にどれだけ満足したか」が、続く行動のモチベーション(誘意性と期待)を左右するということです。
期待説は、その後多くの支持を得ながら、発展研究やビジネス適用が行われてきています。
しかし、問題指摘がないわけでもありません。理論展開の前提としての人間観に伴う指摘です。期待説に限らず、他の過程説でも暗黙的に特定の人間観が前提に置かれています。
期待説では、合理性を持つ人間を想定しています。「人は、自発的、自律的な判断行動ができる懸命な人間であり、主観的な判断もこうした人であれば正確である」としています。現実的にはこうした人間はむしろ少なく、合理的ではない感情に揺さぶられ行動する人も多いはずです。最近は日本人の労働に対する考え方も合理的な考えが増えてきましたが、期待説で示される人間観に沿わない人も欧米比では多いと思っています。そう考えると期待説だけで、動機付けを完全に説明しきれるものでもないと思いますが、いかがでしょうか。
期待説などの過程説を取り上げてきました。前回までの欲求説では、人が動機付く要因を広く抽出整理する理論でしたが、過程説はそうした要因がどのように絡み合い現実的なモチベーションにつながっているかを解明する理論です。
このため、広範に人間すべてを対象とすることはあまりにも複雑で解を見出しにくいため、前提を置きながらのモデル化を図っています。ここで前提にされているのが人間観です。人間とはこうしたものだ、という前提です。前提とされた人間についての動機づけ過程の解明です。
次回は、人間観に対する代表的なマクレガーのX理論、Y理論、さらにZ理論を簡単に触れ、そして内発的動機付けについて取り上げたいと思います。