ふぞろいの食器たち 3.11の記憶

こんにちは、小夏です。今日は3.11。あれから10年が経ちました。
東京から北海道への引っ越しの時、荷造り・荷ほどきをしながら、盛んにおとうさんが首をかしげていた。何が不思議なの?腑に落ちないの?「食器って大体が5つのセットのはずなんだけど、数が合わないんだよね」。


例えば、コーヒーカップのセットだと、カップが5個で受け皿が5枚のはずだけど、お皿が4枚しかなかったりということらしい。そんなふぞろいの組合せの食器セットが結構あったそうです。どっか違う場所にしまい込んでるんじゃないかと思ったけど、最後までセットが合わなかったらしい。

自分の勘違いかと思ったおとうさん、おかあさんに「このカップのお皿、割ったかなぁ?割った記憶ないんだけど」と聞く。

おかあさんすぐに、「それ地震のせいだよ」と言う。東日本大震災のこと、3.11を指しているらしい。東京の片田舎も結構な震度で、お家が高層階だったせいでかなり揺れたそうです。食器棚には耐震ラッチと言うものが付いていて、地震の時には扉にロックがかかるらしいんだけど、想定以上の震度で食器棚の扉はあえなく開いてしまったらしい。

当然、食器は床の上に落下。それほどの被害じゃなかったけど、それなりの食器が割れて廃棄となったそうです。そのせいで、わが家にはふぞろいの食器たちが多いらしい。

おとうさんは、その日、交通網がマヒして会社から帰って来れなかったから知らないんだ。あたしと鼓太郎もちょうどシャンプーに行っててお家に居なかったから知らない。おかあさんが、あたしと鼓太郎を迎えに来る前に、あたしたちが怪我しないように壊れた食器を片付けていた。

ふぞろいの食器たちを眺め、「そうかぁ・・・」と言いながら、おとうさん遠い目をしてた。被災地とは比べようもない僅かな被害で済んだわが家だけど、多くの日本人と同様に心は傷んだ。あの日の事を思い出すと今でも胸が苦しくなります。

あの日から、今日で10年。復興は進んだけど、もとに戻る訳じゃない。犠牲になった方、被災された方、心を傷めた方。みんな記憶の底に閉じ込めているけど、それはこれからも消えることはないんだよね。忘れてはいけないんだ。

今も状況は違うけど、コロナで心が傷められる日々が続く。未曽有の被害をもたらした東日本大震災から、それでも立ち直った底力が、コロナ禍の今も同じように発揮できれば良いのだけど・・・。

5年前に、おとうさんと車で東北の海岸線に沿ってずっと旅しました。また同じところを旅できないかな。あの時は、まだ辛い風景と記憶だったけど、今はもう少し傷みなく旅できるのだろうか。

 

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